在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.85 (2016.9.24発行)

ヤスクニキャンドル行動後の
韓国参加団と
(2016.8.14)

遺骨収集推進法に基づくDNA鑑定を韓国人遺族にも行わせよう!
10月12日厚労省交渉・13日国会内遺骨集会にご参加を!
 8月の安倍内閣改造で誕生した稲田朋美防衛大臣は、「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」06年9月号)、「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(「日本を弑する人々」)と靖国の本質と役割に期待する本音を正直に語っています。
 昨年2〜3月、私(古川)は遺骨調査のために、太平洋戦史館の岩淵宜輝会長に同行してニューギニアを訪れました。ビアク島の住民が耕す畑から、戦後70年以上たった今も遺骸がゴロゴロと出てくるのです。遺骸の一人一人が発する言葉。それは稲田防衛大臣が期待する「俺に続け」ではないでしょう。「二度と過ちを繰り返さないで」に違いありません。
 4月に「遺骨収集推進法」が施行され、先行して沖縄の4地域での発掘遺骸との関連が想定される遺族へDNA鑑定の呼びかけが開始されています。しかし朝鮮人が動員された部隊は排除されています。10月12日には国会議員を交えての厚労省交渉を、13日には遺骨調査団体や遺族を交えての国会内集会を開催します。引き続きご支援をお願いします。

遺骨を家族に返すことを明記した「遺骨収集推進法」を誠実に実行させるために
10月厚労省交渉・国会内遺骨集会を成功させよう!(上田)

日本国会での取り組みが、韓国の戦没者遺族遺骨バンク計上につながった

 
  今でも畑から次々と
 今年4月施行した遺骨収集推進法は、初めて遺骨収集と遺骨を家族に返すことまでを「国の責務」とした。今まで「靖国に祀られたのだから」と遺骨返還から目をそらされてきた日本の戦没者遺族にとって、重大な日本の政策変化である。同時に、法の構造としては韓国人戦没者を排除している一方、外交交渉を通じてとはいえ、韓国人遺族への遺骨返還という目的に大きく活用できる法律が成立した。
 今年2月18日、津田弥太郎参議院厚労委員会理事の質疑に、塩崎厚労大臣は国会の場で、「遺族に国境がないというのはその通り、・・韓国側から具体的提案があれば検討する」旨答弁した。これは今までの「現地で韓国人とわかれば(不可能なこと)韓国政府に伝えて協議する」というゼロ回答の繰り返しと比べ、大きく前進した。韓国人遺族にとって、闘い続ければ韓国人戦没者遺骨返還の道が切り開かれる局面に来ている。
 ハンギョレや、聯合通信の報道に続き、8月16日東亜日報が遺骨問題を大きく報じた。成立した遺骨収集推進法が「我が国」(日本)の遺骨に限定していることを批判しつつ、この鑑定への参加を韓国人遺族のもとに遺骨が戻る最後の機会とし韓国政府に機敏な対応を求めている。韓国で強制連行遺族の遺伝子バンクを作る予算が計上され、9月からの国会で審議が始まることも報道している。戦没者遺族の遺伝子バンク(DNA鑑定に備え、遺族の唾液などの検体を冷凍保存する)の予算計上は、日本国会での前進を背景としていることは明らかだ。韓国世論は塩崎答弁の実行を日韓両政府に求めている。
 
沖縄戦遺族に鑑定呼びかけ始まる
なぜ朝鮮人最大部隊(日本人含む)特別水上勤務隊遺族は鑑定呼びかけから排除されているのか?

 
  畑から発掘した遺骸
 遺骨返還という大きな山の7合目にかかる雲の正体が見えてきた。厚労省は、沖縄戦に関連する北海道・愛知・沖縄などの遺族に対しDNA鑑定参加の呼びかけの通知郵送を開始した。第1次として沖縄県の「真嘉比、幸地、平川、経塚」4地域から出土した75の遺骨(歯)に関連する軍部隊の遺族に連絡を送っている。第2次は「前田、伊原、真壁、喜屋武」などから出土した6地域の遺骨(歯)に関連する部隊の遺族に連絡する予定だ。沖縄以外の地域は来年以降になる。
 沖縄戦に動員された朝鮮人の最大部隊は、陸軍特別水上勤務隊(101〜104中隊、約2850名:以下特水勤と記す)である。荷役や兵站の仕事をしてきた部隊であり、GUNGUN原告の権水清(クォン・スチョン)さんのお父さんもこの104中隊に属していた。太平洋戦争犠牲者補償推進協議会の遺族関係者のほとんどがこの部隊に所属する。この4地域に関連する部隊から特水勤が排除されていることが分かった。我々の調査で、特水勤102と104中隊が4地域中、「幸地、平川」2地域の戦闘に参加していることが分かったのだ。「伊原、真壁」などで切込み隊として102・104中隊が参加したという明確な記録や、「喜屋武」で11人が死亡したと留守名簿に記載されているが、このような地域は後回しの第2次呼びかけとされている。そして第1次呼びかけで、実質的に朝鮮人部隊を排除している。
 
沖縄戦朝鮮人犠牲者はほとんどが行方不明扱い。最後まで探す責任が日本政府にはある
10月12日第3回厚労省交渉は、排除を許すか否か正念場の闘いに

 
 また沖縄戦での朝鮮人戦没者の特徴は、軍の記録でほとんどが行方不明扱いになっていることである。軍の記録である留守名簿には、行方不明の「不」や「死亡推定」の記載がある。しかし正式には死亡の認定がされていない。このような韓国人戦没者を鑑定事業から排除することを許してはならない。遺族が「父が兄が、帰っていない」という訴えを遺族がしているならば、DNA鑑定の調査に加えなければならないのは誰が聞いてもわかる話である。死んで記録さえつけないまま放置し、日本人と同じ扱いをしなかったことこそが問われる問題である。特水勤部隊のDNA鑑定の呼びかけからの排除問題は、日本人が部隊にいる以上言い逃れできない。またこの問題は、激烈な沖縄戦の実相を伝える闘いと強力に結びついて広がっていく運動になるだろう。
 第1次呼びかけからなぜ朝鮮人部隊が排除さえているか、また行方不明者扱いの韓国人戦没者にどういう対応をするのか。太平洋戦争犠牲者補償推進協議会は、この2つの問題を中心に10月12日第3回韓国人遺骨問題厚労省交渉を行う(参議院会館地下B104午後4時〜)。塩崎厚労大臣の答弁を誠実に実行させるか、または実質的排除を許すか、正念場の交渉になる。日韓の世論に大きく訴えていく。
 
第7次国会行動(9月)成功、ガマフヤー具志堅さん遺族会会長と会う
 
 沖縄戦の遺骨を掘り続けるガマフヤー(洞窟を掘る人)代表、具志堅隆松さんとともに第7次国会行動(9月12〜13日)を成功させた。今回の行動で、具志堅さんは遺族会会長(水落衆議院議員: 遺骨収集推進法自民党責任者)と面談した。2度目の面談となる。会長からは、厚労省に対し、発掘現場からは歯のついた遺骨は少なく手足も鑑定するように伝えたとのこと。さらに、参議院厚労委員会で報告された、朝鮮戦争での遺骨の分析資料(四肢骨の方が歯よりもDNAが採れる)や沖縄県議会決議の案文も具志堅さんから会長に説明が行われた。遺族の鑑定も高齢化のため時間がないことが訴えられ会長からも同感だとの意見が出た。戦没者のため遺族のために35年間遺骨を堀り続けた具志堅さんの訴えに、会長と意見が違う場面は全くなかった。
川田龍平議員と 水落遺族会長と


法施行半年の10月13日、ガマフヤー主催「戦没者遺骨返還のあり方を考える国会内集会」
成功させよう!
(12時30分〜13時30分参議院会館地下B104)

 「戦没者遺骨返還のあり方を考える国会内集会」集会がガマフヤーから呼びかけられている。この集会は日本人の遺骨収集の基準作りに大きく影響する集会となる。目的は何よりも沖縄戦の遺族(沖縄・北海道・愛知など)にDNA鑑定の呼びかけが始まったことを全国の遺族に知らせ関心を高めてもらうことである。そのために厚労省から法施行半年の事業報告も受ける。マスコミはフルオープンにし、多くの国会議員に参加を呼びかける。
 遺族はこの事業が始まったことをほとんど知らない、沖縄以外ほとんど報道されていないのが現状だ。南方の戦没者遺族に早く自分たちも始めてほしいと声をあげてもらいたい。
 私たちがお手伝いした兵庫県西宮市での遺族が主催するニューギニア写真展(9月15日〜18日)でも、沖縄戦遺族に鑑定呼びかけが始まっていることをニューギニア戦遺族に伝えると、「自分で鑑定に手をあげるの?厚労省から手紙が来るならそれはやりやすい」「遺族会のニュースに出すべきだ。みんな知らない」「1人の費用が4万円ぐらいなら安い、そういう点を知らせるべき」などいろいろな声が上がって来ました。また、遺族のみなさんから「今までは自分たちが遺骨を探し厚労省が受け取るというスタイル。10年の事業で本当に厚労省が遺骨収集をやりきれるのか心配だ」という声もお聞きした。日本の遺族とともにこの運動を進めてきた私たちの取り組みを、沖縄から次は全国の遺族に広め訴えていく時が来た。遺族が、遺骨が家族のもとに帰る事業が始まったことを知ることが、必ず大きなうねりになっていくはずだ。法施行半年、重要なタイミングで、多くの国会議員と日本中の遺族に知らせる集会にしたい。
 ぜひ多くの皆様に、10月12日厚労省交渉とともに、13日遺骨集会への参加をお願いしたい。
 
 両日(いずれかでも結構です)手助けいただけるボランテアスタッフも募集します。
 連絡お待ちしています。(連絡先 古川携帯 090−1135−1488)
韓国人遺骨問題厚労省交渉(紹介議員 相原久美子参議院議員) 
10月12日(水) 16時〜17時 参議院議員会館 B104会議室
「戦没者遺骨返還のあり方を考える国会内集会」(「ガマフヤー」主催)
10月13日(木) 12時30分〜13時30分 参議院議員会館 B104会議室


東亜日報の記事より(8月16日 一部抜粋)

自国民だけ取りまとめる日本・・韓国人犠牲者の名は永遠に葬られる危機
沖縄地域で1万名の死亡推定 名前の確認447名に過ぎず
日本2025年までに遺伝子データベース仕上げ、韓国人は対象から初めから除外
遺骨身元確認できず合葬される憂慮 韓国も遺族データベース化構築急がねば

 朝鮮人遺骨奉還などと関連して非常な関心を引いているのが4月施行した‘戦没者の遺骨収集に関する法律’(遺骨収集法)だ。 戦後80年をむかえる2025年まで収拾された戦死者遺骨に対する遺伝子(DNA)データベースを構築して事実上遺骨問題を終える内容だ。沖縄県もこの法の施行に合わせて2014年7月から収拾遺骨に対する火葬を中断した状態だ。平和記念公園内の‘戦没者遺骨収集情報センター’は2014年前後で保管した690余の遺骨中DNA検査対象87を分類した。特に浦添市、前田小学校近隣現場は厚生労働省が直接調査するなど大規模現場で、今後朝鮮人遺骨が出てくる可能性が高いもので展望される。しかし遺骨収集法は日本では‘我が国(日本)戦没者遺骨’で対象を限定した。 DNA検査をした後日本人遺族のうち一致する人が無くても朝鮮人など外国人遺族とはDNA対照を確認する道をふさいでいる状況だ。
 太平洋戦争補償推進協議会など韓国遺族団体は韓半島出身犠牲者の身元把握のための遺族DNA検査を要請したが日本政府は“韓国政府からさらに具体的な提案があれば(日本)政府内部で適切な対応を検討すること”というぬるい反応だけが見える。韓国政府では現在まで公式的な対応がない。行政自治部傘下の過去事関連業務支援団では韓国遺族DNAデータベース構築と関連した1次予算3億ウォンを申し込んだ後、9月の審議を待っている状況だ。カン・ジェスク共同代表は“法案は問題点があるがDNA検査を実施するなど朝鮮人遺骨を家族に送り返す最後の機会になりうる。この機会を逃せば事実上合葬状態で火葬されるので遺骨は永久に故国に戻ることはできない”として“韓国政府次元で遺族データベースを近日中に構築して法施行関連日本政府の行動に機敏に対応しなければならない。と言った。

『「終戦、その後の写真展」〜ニューギニアから〜』報告(木村)

 9月15日から18日、西宮にある朝日新聞社阪神支局の3階ギャラリーで『終戦、その後の写真展」〜ニューギニアから〜』を開いた。
 ニューギニアで兄が戦死し、数年前に遺骨の残る現場を訪れた遺族の横山邦彦さんが「私が撮影したニューギニア遺骸収容の写真パネルを使い未開催の地元で写真展を開きたい」という前々からの強い思いに応えての開催だった。当初、横山さんの体調が悪かったため肝心のパネルを受け取れず、同行された阪本良子さん、瀬野尾一江さんが撮った写真で準備を始めた。前日準備がほぼ終了に近づいた頃、横山さんがタクシーでパネルを持って駆けつけて下さった。おかげで展示パネルがいっぱいになった。
 朝日新聞に2回記事を掲載してもらったこともあり、オープンから4日間で計140名の来場者があった。連日、遺品の軍隊手帳、慰霊に行かれた時の写真、関連する資料や地図等を持たれた方々、戦争の被害を語られる方々、初めてこのような写真を見られた方々、様々な思いを持って来られた方々により時を忘れた交流の場が生まれた。
大勢の来場者 阪本さん(左)と横山さん

 17日には横山さんのお話しの時間を設けた。横山さんは予定の3時間も前に会場に到着、会場も参加者でいっぱいになった。横山さんは、挨拶とパネルの紹介の後、これまで胸にためてきた思いを一気に吐き出すように話された。

 
遺族に説明する横山さん  

 兄が戦死したという公報が来たが、亡くなった証拠は何もない、赤紙一枚。国の命令で連れていかれ、行方不明と言われても、死んだという証拠がない限り納得できない。母が兄弟に向かって「兄の行方を捜す子はいないのか」と、遺言というか最後の叱りつけに、兄の亡くなったという場所を訪ね母に報告したいと、行く方法を探した。岩手に遺族を集めて案内されている方(太平洋戦史館長の岩淵宜輝さん)がいると聞き、連れて行ってもらった。一緒に行ったのが阪本さんと瀬野尾さんだった。
 最初に見た現地は写真では伝えきれない悲惨な情景だった。死体が飯盒等と一緒に転がっていた。死体がそのままある。米軍は自国軍の兵の遺体をきれいに持って帰っているが、わが軍は、ノブタ、野犬の骨と一緒に野原に放ったらかし。人間をここまで貶めてよいのか、その場に立っていられなかった。兄を捜しに行ったが、ここにある死体はいずれも誰かの家族、長い間よくも放ったらかしたものだ。日本には人権もヒューマニズムもないのかと思った。兄の出兵は私が小4の時、駅まで見送った。万歳万歳と送り出した兄がこの様か。しかも野晒しのままで。小4とはいえ万歳と送り出した自分を責めた。ホームの列車の様子を思い出すたびいたたまれなかった。帰りの空港で、「現場を見た以上、力の及ぶ限り報告する義務がある。できることをやろう」と誓い合った。福井、京都、大阪、山形、青森で写真展を開き、累計6000人の参加者を数えた。続けられたのも阪本さん、瀬野尾さんに励まされたから。
 私の出身は青森。ニューギニアで全滅したのが、弘前で編成された雪部隊。貧しい農村の人達だったはず。お国のためというより、故郷のため、家族のため一生懸命戦った。死ぬ際に、もらえる軍人恩給のことを考え、周りに日本兵がいるときは、「天皇陛下万歳」と言ったが、誰もいない時は「お母さん」だ。
 戦争が終わって、何十年も農地に骨を放ったらかしておいて、ある日突然日本政府の調査団が来るというから現地の人は怒る。20年放置すれば地主のものになるという法律が現地にある。戦争文化財を勝手に持ち帰るとは何事かと、現地の人は思っている。岩淵さんはずっと現地の人と交流していて、災害が起こった後には救急車を寄付して喜ばれたこともある。民間人は努力して関係を作ってきた。日本はいつまで謝り続けるのかという人もいるが、謝ったふりは謝ったことにならない。現地には身内を殺されて日本兵に食べられた人もいる。理解しあうためには不断の友情しかない。日本は許されないことをやってしまった。罪を背負って生きていくことを、辛くてもやっていかなければならない。


 
  母の写真を持って
 80歳を超える横山さんの体調も気になり、阪本さんが何度も椅子をすすめても、兵隊さんのご苦労を考えると座れないと直立のまま1時間お話を続けられた。
 期間中、来場者の話はどれも重いものだった。胸にお母さまの遺影を抱かれ「母にも見せてやりたいので」と来られた方。「兄が船で南方へ行ったが、そのまま行方不明。どこでどう亡くなったか分からない」と目を潤まされながら話される方。神戸空襲の後、遺体焼却はひどいものだったと話される方。等々‥。福井からはニューギニア生還者の息子さんが、昨年地元の証言集会で語られたお父様の映像を持って来られた。93歳のお父様も来館したいと希望されたそうだ。阪本さん、瀬野尾さんは、こちらから訪ねて行きたいと語り、今回で最後のつもりだった横山さんも、福井での開催に意気込んでおられた。
 今、体験をしたことのない戦前の空気が感じられ、落ち着かない時代であるからこそ、先の戦争の後始末もできていないことを知らせるだけでなく、戦場で何があったのか、戦争とは何かを考える入り口となる写真展だった。

ヤスクニキャンドル行動
『戦争法の時代と東アジア−「戦死者」と靖国−』報告(中田)

 停戦合意が破綻した南スーダンの自衛隊PKO部隊の駐留がこれ以上長引けば、はじめての自衛隊員の戦死者を生じかねない、そういう状況のもとで今年のヤスクニキャンドル行動は「戦争法の時代と東アジア−「戦死者」と靖国−」のテーマで開催された。

 哲学者の高橋哲哉さんは「自衛隊の戦死者は靖国に祀られるか?」と問いかけた。憲法20条の政教分離の原則に違反して厚労省は靖国神社に戦死者の名簿を提供していたが、ノーハプサ訴訟の判決で憲法違反には当たらないと認められたことから、政府が名簿を提供し合祀することは不可能ではないとする。一方、靖国神社は「大東亜戦争」までの戦死者が合祀対象であるとして自衛隊の戦死者の合祀はありえないとの立場を示している。今すぐの合祀は難しいが、8月15日の「戦没者追悼式」のような政府主催の追悼式を開き、天皇がお言葉を述べ、首相が戦死者顕彰のメッセージを寄せる」そういう段階に至っているというのが氏の認識だ。司会者も「今、自衛隊に戦死者が出たとしても、その責任を政治家にまともに追及できるマスコミはいない」と述べるほど、私たちは来るべき戦死者とどう向き合うか待ったなしの時代に突入した。
 集会を終えキャンドルデモに出発すると右翼の街宣車、「朝鮮人帰れ!」と耳をつんざく怒号と「日本国と英霊を罵るヘイトスピーチを絶対許さないぞ!」と書かれた横断幕が私たちを出迎えた。靖国合祀取消しを求める韓国人元軍人軍属遺族の訴えを「ヘイトスピーチ」と罵る意識の根源にあるのが「植民地主義」と差別排外主義、民族差別イデオロギーである。「ヤスクニズム」=靖国思想は、差別排外主義とコインの裏表である。
 今年の8月15日丸川珠代五輪担当相は「平和を守るために正しい選択ができるように」靖国参拝したと言う。しかし「平和を守るための正しい選択」は、深い「ヤスクニの闇」を照らし出し、靖国神社を「廃社」させることである。
キャンドルデモ ヘイトスピーチ 韓国の遺族たち

ノー!ハプサ(NO!合祀)第2次訴訟第9回口頭弁論のご案内(山本)

 前回の第8回口頭弁論での被告側の反論主張は一定の事実関係に踏み込んだものであり、韓国人被害者にとっての靖国合祀の意味を裁判所が認定するかどうかの重要な局面に差し掛かっています。次回の裁判では、被告の主張に対する全面的な反論を原告側から行います。今後、証拠調べに進んでいくと思われますが、裁判所に事実審理をしっかり行わせるために、多くの支援者の皆様の傍聴が必要です。ぜひ、ご支援ください。

第9回口頭弁論
 10月12日(水) 午前10時半開廷(1時間程度)
 東京地方裁判所103号大法廷(地下鉄霞が関駅下車A1出口


☆原告の意見陳述を予定しています。傍聴券の抽選が予想されますので、30分前には裁判所正面玄関前においでください。裁判終了後、弁護士会館で総括集会を予定しています。

遺骨問題対政府交渉(在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会主催)
 10月12日(水) 午後4時〜 参議院議員会館地下1階B104会議室

第2回植民地歴史館つなぐ会集会「ここまできた!植民地歴史博物館」
 10月11日(火) 午後6時半〜 港勤労福祉会館(JR田町駅、都営地下鉄三田駅)

読書案内
 
   

 神国日本のトンデモ決戦生活
    −広告雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか−
            図版200点以上で示す笑えるようで笑えない戦時下生活
            
                       早川タダノリ著  合同出版 1800円+税

 靖国神社は、戦没者の家族の悲しみを喜びに転化させる。靖国信仰のシステムこそ『感情の錬金術』だと高橋哲哉氏は指摘するが、もう一つピンとこない方のために絶好の書だ。早川氏の肩書は、広告の収集、研究家、フリーの編集者。今回も、広告、チラシ、雑誌はどれだけ戦争に奉仕したかという副題を付けている。その時代にメディアはどんなプロパガンダをおこなってきたか、人々は影響を受けたかを追う。
 著作では、上半分に実物の広告等をそのまま載せ、下半分にコメントが書かれていて読み易い。「神々しき靖国の社」から始まり、初等教科書の靖国記述、英霊に捧げる作文コンクール、戦争遺児の美談が掲載されている婦人向け雑誌等を紹介。「日本良い国」「称えよ八紘一宇」「すべては勝利のために」「言霊の戦争」と続く。断罪するのでなく淡々と紹介、余計に恐ろしさ、くだらなさ、信じてしまう人々の悲しさが迫る。
 近年、「本当はスゴイ日本、日本人」系の出版、TV番組が増えてきている。2006年第一次安倍内閣発足以降、「こんなスゴイものがある日本」だから「日本人としての誇りを持とう」という戦前、戦中のような空気は強まっていると著者は警告しているが、同感である。(大釜)

GUNGUNインフォメーション

 9月30日(金) 東京総行動 11:50 新日鉄住金本社前(東京駅丸の内)
10月 6日(木) 中国人強制連行・三菱マテリアル訴訟和解報告集会
              15:00 参議院議員会館 B107会議室
10月 8日(土) 植民地主義の清算と東アジアの平和をめざしてともにつくろう!植民地歴史博物館
              13:30〜立命館大学茨木キャンパスA棟AS251教室(一般1000円学生無料)
10月11日(火) 第2回植民地歴史館つなぐ会集会「ここまできた!植民地歴史博物館」
              18:30 港勤労福祉会館(JR田町駅、都営地下鉄三田駅)
10月12日(水) ノー!ハプサ第2次訴訟 第9回口頭弁論 
              10:30 東京地方裁判所103号大法廷(地下鉄霞が関駅下車A1出口)
10月12日(水) 韓国人遺骨問題厚労省交渉(紹介議員 相原久美子参議院議員)
              16:00 参議院議員会館 B104会議室
10月13日(木) 「戦没者遺骨返還のあり方を考える国会内集会」(「ガマフヤー」主催)
              12:30 参議院議員会館 B104会議室
10月23日(日) 改憲も新基地もNO! 10/23団結祭り
              10:00亀戸中央公園A地区(JR亀戸駅徒歩12分、東武亀戸線水神駅徒歩3分)
10月30日(日) 関西団結まつり 11:00扇町公園
11月17日(木) 中国人強制連行国家賠償請求訴訟 14:00大阪地裁102号法廷
12月 8日(木) 関西安倍靖国参拝違憲訴訟第2回控訴審(結審)
              14:00大阪高裁102号大法廷