在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.61 (2010.12.5発行)

証言集会で来日した遺族3人と
稲見哲男議員(右から2人目)
(2010年10月11日)

「朝鮮王室儀軌」など図書協定を調印 文化財の全面返還を!

 11月14日、横浜で開かれた日韓首脳会談・外相会談で、「朝鮮王室儀軌」等1205点の返還(日本側は「引き渡し」と表現)に合意し、協定書に調印しました。その中には韓国側も存在を知らなかった、初代朝鮮統監・伊藤博文が持ち出した図書66種938冊も含まれます。
 65年日韓条約で「完全かつ最終的に決着済み」とされてきた問題が、「韓国併合100年」の今年、動いたことの意義は小さくありません。今回は図書だけですが、韓国・朝鮮から搬出された文化財は、仏像、絵画などの美術品、古墳出土品など多種多数で、国立博物館や旧帝国大学に多く所蔵されています。大倉集古館所蔵の五重石塔は韓国・利川市から返還を求められています。今回の図書調印を他の文化財返還へつなげ、「解決済み」の突破口を開きましょう。
 10月の証言集会では、植民地支配による犠牲者遺族の苦しみが現在も続いていることを思い知らされました。切実な「父の記録」と「遺骨調査」の要求を、国の課題にするために国会議員に対する働きかけを強めましょう。
 

グングン裁判の現状:最高裁上告で提起した論点(関東事務局 御園生)

 昨年10月29日控訴審判決以降、皆さんにはグングン裁判の現状が見えない状況が続いていると思います。この間の状況について、特に上告内容について、ご報告させていただきます。

 
 

昨年の判決で

 控訴審判決以降の経過

 昨年10月29日東京高裁控訴審判決以降、原告と弁護団は、すぐに、上告手続き(「上告状兼上告受理申立書」を最高裁判所に提出)を行いました。その後、訴訟救助の手続き等で時間を要し、今年6月に訴訟救助の決定がおりました。上告等の提起がなされた旨の通知を受けてから50日以内に「理由書」を提出しなければなりません。そこで、7月30日に「上告理由書」と「上告受理申立理由書」を最高裁に提出しました。

 上告受理申立と上告との違い

 上告受理申立(民事訴訟法318条)は、高等裁判所の判決の内容に、最高裁判決の判例に相反する判断がある場合、また、法令の解釈に関する重要な事項を含む場合に申立をすることになるとされています。また上告は、憲法違反又は法律に定められた訴訟手続きに重大な違反がある場合になされます。あくまでも控訴審判決が問題となります。
 今上告については、*日韓請求権協定及び措置法、*憲法(政教分離)違反については、上告理由書および上告受理申立理由書双方で提起されており、共同不法行為の成立要件に関してだけは上告受理申立を行っています。 

 共同不法行為の成立要件の判例に違反

 
   

 原審(控訴審判決)は、下記のように述べる。少し長いが重要なところなので引用する。 「被控訴人国は、靖国神社からの要請に応じて、行政機関において把握ないし収集し得る客観的な情報の提供を、他の国民の要請に対する協力と同様の考え方に基づき、しかしながら、事務量が膨大であるであることなどから、予算を取り要綱を定めて組織的に長期間にわたり行っていたものであり、その情報を用いて合祀を決定していたのは靖国神社であると認められる。したがって、国と靖国神社が一体となって、あるいは国が主導して、合祀を行ったと認めることはできない。」として請求を棄却した。
 しかし、共同不法行為に関する最高裁判例(最判S43年4月23日)は、一体性も主導性も不法行為成立の要件としていない。「共同不法行為者各自の行為が客観的に関連し共同して違法に損害を与えた場合において、各自それぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が違法な加害行為と相当因果関係にある損害についてその賠償の責に任ずべきである」としている。つまり、原告らの人格権を侵害する靖国合祀について、国は大量の合祀通知を靖国神社に行うという相当な因果関係にあるのであり、国に損害賠償の責があるということである。最高裁判例は、主導性や一体性は必要ないといっているのである。東京高裁は、都合よく忘れることにより、不法行為がないのだから、民族的人格権の侵害等の韓国人の人格権侵害について検討の必要はないと逃げたのだ。

 
 

昨年の判決報告集会

 明らかに政教分離原則(憲法)に違反
 
 最高裁は、これまで政教分離原則の判断・適用にあたって「目的・効果基準」を採用してきた。その内容は「憲法20条3項にいう宗教活動とは・・・当該行為の目的及び効果にかんがみ、その関わり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限られるものというべきものであり、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫・干渉になるような行為をいう。・・・」というものである。
 本件において国が行った行為は、「@合祀推進のための、通知文書、要鋼の作成、A祭神名票の印刷・支給(引揚援護局)、B原簿の作成、合祀者の選考・祭神名票への記入、C毎年春秋の合祀予定者数の決定、記入済み祭神名票の取りまとめ、靖国神社への回付、D合祀通知状の遺族への交付(都道府県)、E予算(合祀事務協力の経費の国庫負担)、F合祀を推進するための靖国神社との多数回の打合せ、G靖国神社参拝のための遺族に対する旧国鉄割引切符の給付行為」等々である。これが特定の宗教を援助し、助長し、促進する行為でなくして何であろうか!憲法違反は当然のこととして、これまで最高裁が採用してきた「目的・効果基準」からしても合祀は違憲だ。
 憲法第20条3項のみならず、同条1項後段は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を受けてはならない」と定めている。ここでの「特権」とは、一切の優遇的地位・利益をさしている。靖国神社は明らかに優遇的地位を受けている。
 そして、憲法第89条前段(財政支出)にも違反している。このような憲法違反を容認するならば、政教分離違反は有名無実化する。

 

シベリア朔風会のイ・ビョンジュさん

 

 説明のない「日韓協定解釈」の変更

 このグングン裁判の請求項目の多くが、日韓請求権協定により解決済みとする国の主張が採用され、請求は棄却された。しかし、日本政府は、請求権協定の解釈を勝手に変更し、最高裁もそれを追認したのである。
 変更は、次のとおりである。
 @戦後処理を定めたサンフランシスコ条約では、条約自体で「私人の権利を実体的に放棄」(私人の権利自体放棄説) A日韓協定当時は、「外交保護権の放棄(国家間請求権提出権の放棄)」 B広島西松事件(2007年最高裁判決)では、「請求権放棄は、裁判上訴求する権能を失わせた(「自然債務化効説」)。
 そのときどきで自らの優位になるように「反省」も「謝罪」もなく行われた。
 日韓請求権協定当時、日本政府は「外交保護権の放棄」という立場にたっており、だからこそ、実体的権利を消滅させるために措置法を制定した。しかし、そうであるならば、いや、そうであるからこそ、国際法上の問題を生じる。「国際法上、一般に、国家は外国私人の権利を収用・消滅させることはできるとはされていない」。すなわち、日本に処理権限のない権利について措置法で消滅させたといっているのである。本来消滅させることのできない私人の権利を消滅させるために詭弁を弄してきた結果だ。請求権協定および措置法の解釈の誤りであり、憲法で規定する財産権の侵害である。

 「憲法の予定しないこと」の誤り

 上記のような矛盾を覆い隠すために、最高裁は「憲法を予定していないところ」という誰もが理論的に反論できない没理論を持ち出した。グングン裁判で提起している「労賃」債権、捕虜の抑留中に抑留国の国際法違反の行為によって生じた損害についての請求権等は、ユス・コーゲンス的権利(国際強行法規)として確立している。これは憲法に準ずる法規範であるから、措置法によりその権利を消滅させることはできないにもかかわらず消滅させられた。その隘路を埋めるために「憲法の予定しないところ」という論理が待ちだされたのである。

 「内」の「軍」に厚く、「外」を排除

 上告理由書は、最後にこう強調している。「日本政府は、日本国内在住の韓国・朝鮮人を独立・原状回復の名の下に、(日本国籍「喪失」前に)すでに外国人扱いしつつ、実際には外国人として無権利状態においた。外交保護権のみ放棄説の名の下に、私人の権利は消滅していないとしつつ、実際には、それらの権利を切り捨てた。戦争損害受忍論の下、「内」の「軍」の戦争損害については手厚く補償を行ったが、「民」や「外」の損害を切り捨てた。」
 「最高裁は、これらの点について、(既述)二つの判例により、憲法(10条、14条、29条)を無視する形で追認した。その理論的誤りは今も正されていない」のである。
 
 以上、上告、および、上告受理の理由書より、その主要と思われる部分について掲載しました。この間の戦後補償関連の判例から見る限りでは、最高裁(司法)においても、戦前と前後が連続していると思わざるをえません。最高裁(司法)は、司法における戦争責任を明確にし、戦後補償の実現・東アジアの平和の実現に寄与すべきなのです。
  

GUNGUN事務局の矢野秀喜さんが「林鐘國賞・社会部門賞」を受賞

 

受賞を報告する矢野さん

 

 GUNGUN事務局で、強制連行・企業責任追及ネットワーク事務局長や、韓国併合100年共同行動事務局長等を担ってきた矢野秀喜さんが、韓国の第4回「林鐘國賞・社会部門賞」を受賞しました。
 林鐘國(イム・ジョングク)氏(故人)は、韓国における親日派の研究者で、その業績を受け継いで民族問題研究所が設立されました。林鐘國賞は、「親日清算」、「歴史の正義実現」、「民族史の定立」という林鐘國氏の志と精神を承継している個人・団体に授与されます。
 矢野さんは「植民地主義の清算運動を闘ってきたみんなにいただいた賞として意義を共有し、今後の運動に生かしたい」と語っています。

「韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決を! 第3回証言集会」報告

10月7〜8日 東京院内集会・議員要請報告 (木村 )

 
 

院内集会でイ・ヒジャさん

 韓国・朝鮮の遺族とともに 遺骨問題の解決を!第3回証言集会は、10月7日東京での院内集会、8日対政府要請行動から始まりました。韓国から遺族10人(東京へは内8人)が来日、院内集会には民主党、社民党、共産党の議員、秘書をはじめ、全体で約200人が集まりました。
 まず全国連絡会を代表して、上杉聰さんが基調報告。「政府は管総理談話に沿った『新たな措置』を遺骨問題でも実施し、アジアの人々から幅広い信頼を得る道を進むべき」と、ノ・ムヒョン・小泉会談以降進展していない「遺骨問題」の解決を訴えました。議会会期中にも関わらず、民主党戦後補償議連の藤谷光信議員、今野東議員をはじめ社民党の服部良一議員ら議員6名が駆け付け挨拶。石毛瑛子議員からは「議連としても取り組みたい。管総理も具体的に言及していることだから」と挨拶。共催の太平洋戦争被害者補償推進協議会から共同代表の張完翼(チャン・ワニク)弁護士が、「2004年韓国で真相究明法が制定された。日本政府も、軍人軍属と労務者の被害状況に対する調査と補償のための法律を速やかに制定すべきだ」と報告。来日の遺族を代表して、李煕子(イ・ヒジャ)さんは、「遺族の方々の話を自分のこととして、胸の痛む問題を聞いて欲しい。痛みを皆さんと分かち合いたい。村山談話が引き継がれているが、具体的な解決を望む」と訴え。  
 その後、7人の遺族お一人ずつが証言。「言いたいことは、山ほどあるが、言葉が喉に詰って出てこない。証言集を読んで欲しい。日本の国は憎い、父の顔も知らずに育った、父の遺骨、一片の記録でも手にして、『アボジ』と呼んでみたい」との証言に、頷きながら聞いている参加者が多かったのが印象的でした。
 曹洞宗の工藤さんは、政府の要請に協力して、各お寺にある遺骨300体の内30体の遺族まで判明したが、それすらどのように返還するのか道筋がつかず預かったままだと報告。最後に、今年亡くなられた真相究明ネット事務局長・福留範昭さんの遺志を継いでいくことと、市民の力で政府を動かし、“国の責任において遺骨問題の解決を求める”とともに、その早期実現に全力で取り組むことを決議しました。
 8日の対政府要請行動は、韓国遺族団に加え全国連絡会メンバー10人が参加。この行動には民主党の稲見哲男議員、工藤仁美議員、今野東議員秘書がずっと付き添ってくれ、民主党幹事長室、外務省、厚生労働省、内閣府を訪ねました。行動終了後、辻恵議員が急遽会議室を確保して下さり遺族の方と数人で感想交流会が持たれました。遺族からは、「日本の政権が変わり期待してきたが裏切られた」「人道的な人もいたが、そうでない人もいて、本当に話が伝わるのか」「この政権でやれるだけのことはするという決意が聞きたかった」等々の声が。内容を聞くと、厚生労働省での対応が原因のようで、要請に対し、「厚生労働省としては韓国政府に資料を送付済み、後は韓国政府の方の問題」と聞く姿勢を見せなかったとのこと。ただ、民主党幹事長室では、「遠くからきていただき申し訳ない」と遺族を労い、「今日聞かせていただいた内容についても受け止めていく。(今回の要請内容を)岡田幹事長も納得するはず。政府にも要望を伝えていく」「遺骨を大事にする気持ちは共通。早くやっていくよう働きかける」という返事を得たそうで、外務省でも「遺骨問題について、今後人道的な立場から対応していく」とのこと。
 今回の要請内容を実現するためには、もっと議員を巻き込んで、遺族の悲痛な声をもっと広く知らせていかなければならないと感じました。


10月9〜11日 関西証言集会・議員要請報告 (日鉄裁判を支援する会 ・上田)

        南英珠さん、姜宗豪さん、崔洛さんの証言の全文はこちらからご覧下さい。⇒ クリック

 

父の写真を掲げる崔洛さん

 

 韓国・朝鮮の遺族とともに遺骨問題の解決を!全国証言集会は、関西で神戸・大阪・京都集会の順で開催され、多くの行動・交流が行われました。
 9日、関西に着いた3人を新大阪の新幹線ホームに出迎える。崔洛(チェ・ナックン)さんは、韓国でいつも会うおなじみの方。姜宗豪(カン・ジョンホ)さん、南英珠(ナム・ヨンジュさん:唯一女性)は緊張気味。特に、お兄さんをニューギニアで亡くされた南英珠さんは、はじめての来日で複雑な思いが察せられる。神戸に行く車の中でも、3人の方からいろんな話を伺った。
 崔洛さんからは、「三井建設の名の入った灰皿」の話が。父が日本に徴用された後、父から手紙とともに家に送られてきたもので、父が写る第一協和訓練隊とかかれた9人の写真と、全員の名前本籍などが載ったメモだ。そのうち一人が判明し、会いに行ったがすでに2年前に亡くなっていた。父は家族にも日本でのことは伝えておらず、父の情報はつかめなかったそうだ。
 南英珠さんは、兄が徴兵で連れて行かれ、死亡通知もないままで、2003年に日本から韓国に送られた資料の中にニューギニアの「ヤカムル」という場所で死んだことはわかったが、日本政府に照会したところ遺骨記録はないと言われたそうだ。古川さんがニューギニアの戦死情報を記録してある民間サイトから南英珠さんの兄の情報を出してプリントした、死亡地の地図や名簿と、同時にニューギニアで遺骨が回収されずに野ざらしになっている写真の入った新聞記事を見せてもらった。今まで遠い所としか思えなかったニューギニアの地図も写真も頭の中に焼きついてしまった。ニューギニアで父が戦死し、遺骨を回収し続けている岩手の岩渕さん(太平洋戦史館を運営)の話が古川さんから紹介されて、南英珠さんは初めて聞いたようで、とても会いたがっていた。
 
 戦没船資料館でお父さんの名前を調査

 
 

戦没船資料館で姜宗豪さん(中央)

 車は、海員組合が運営する神戸の「戦没した船の資料館」に向かっている。姜宗豪さんの父が、「南洋群島にいく。どうやら帰れなくなりそうだ」という話を知人に残した情報から、名簿のある資料館に行って調査をするためだ。姜宗豪さんは、「以前同じような資料館で名前を調べたが、日本名がわからなかったのでできなかった。今回は日本名がわかった」と言う。資料館に到着すると、以前来たところが同じ資料館であることを思い出された。出迎えていただいた、神戸学生センターの飛田さん、資料館の大井田さんもお会いしたことがあるという。今回新たに日本名「和田太休」で調べていただいたが該当はなかった。もしやと崔洛さんのお父さん「崔菊寸」も調べていただいたが、ともになかった。
 神戸集会は、神戸学生センターとグングン裁判を支援する会が共催し、神戸の戦災被害者の活動をする方、神戸港の強制労働の記録の活動をされている方など、神戸で地道に取り組んでおられる方々が集まった。冒頭に「船ごと徴用とは?」と題して、「戦没した船の資料館」の大井田さんの講演があり、3人の証言・意見交流と続いた。参加者からは、崔洛さんのお父さんの写真は「服装からすると炭鉱ではなく鉱山ではないだろうか」という話があり、2次会でも続けて、炭鉱関係の名簿を調査している人を紹介いただき早速調査をお願いした。神戸の南京町で行われた2次会は大盛り上がり。南英珠さんも通訳の李美代子さんが付きっ切りで話しをしてくれて、硬い表情が取れてきた。崔洛さんは東京で行けなかったと、神戸の人たちとカラオケへ。後の2人は長旅に疲れて大阪のホテルへ。

 

南英珠さん(左)

 

 朝日新聞に大きな記事が
 
 10日、大阪。朝1番新聞を見る。朝日新聞に大きく今回の行動が紹介されている。「韓国から徴用戻らぬ遺骨・今日大阪遺族ら証言集会」、崔洛さんのお父さんたちの写真と3人、3人の写真とともに証言も詳しく載っている。今回の目的の一つ、市民に問題の存在を広く知らせるという狙いは成功したと言える。一人ひとりに新聞をお土産に買い、早速ロビーで韓国語に翻訳してあげる。3人の表情は昨晩ぐっすり眠り、記事が新聞に大きく載ったこともあり、とても明るい。
 午後2時から大阪集会。韓国語がわかる人も結構いて、遺族の訴えに直接頷く人がいる。参加者みんなが訴えに集中した。「父がいない苦労で学校へ十分に行けず、ソウルに家出し物乞いをして暮らした」と苦労を語り、「母が死ぬまで父の戸籍を整理できなかった」と無念を語る崔洛さん。「一度も会ったことのない父が死に、母と離別し、済州島の4・3事件で戸籍にある父がいないため父が逃げた左翼とみなされ、祖父母が銃殺されてしまった。別れるまいと祖母にしがみつくと、一緒に行くと殺されると無理やり離された。中学に学費がなくいけず自殺を試みた。孤児院に入り、その後今の養母に育てられた。」と、姜宗豪さんも父母そして祖父母までを失った苦労を涙で語った。南英珠さんは、「兄が徴兵され、帰ってこず母は解放直後心の病でなくなった。幼少期を母なしで生きた。父も兄を探し続けたが、心の病でなくなった。祖父・父・母皆が兄の消息を聞けずなくなった。靖国合祀でいまも魂が縛り付けられている」と涙ながらに訴えた。寄り添ってきた李さんも泣きながら通訳をした。会場からも在日の方から「私たち在日も日本で差別され苦労をしてきた。この問題は政府を動かさないといけない」と、思いのこもった発言があり、会場も一つになった。
 これを受けて東京の事務局から矢野さんからに国会政府要請の報告が行われた。幹事長室での前進は感じられたが、以前と変わらぬ厚生労働省の対応には落胆がひろがった。大阪集会では「10日夕方民主党辻恵議員事務所、11日午前稲見哲男議員に遺族の声を直接伝える行動を成功させよう」と訴え、集会は終わった。

 
 

辻議員(右)と

 有意義だった国会議員要請活動
 
 2ヶ月前から調整し、議員本人に訴える機会を得た陳情行動である。辻議員には45分、稲見議員には1時間あまり遺族が証言し、15分から20分程度の交流を持った。辻議員からは「厚生労働省の政務官(国会議員)は知っているので、もう少し遺族の話を聞いて対応するよう話してみる」との申し出が。稲見議員は、「菅談話に示された朝鮮王朝図書の返還は、民主党戦後補償を考える議員連盟が韓国から専門家をゲストに学習会を開き、宮内庁にある文書を国会議員2人ずつで閲覧し、認識を広げる中、盛り込まれた」との話を聞き、運動を結実させる方向性に大きな示唆を得た。地元でじっくり議員に証言を聞いてもらったのは本当に良かった。今後関西では、国会議員への要請を継続する計画だ。
 
 3日間を通じて兄弟に
 
 11日午後、京都に入る。南英珠さんが、日本が初めてということもあり、短時間ではあるが東寺を訪問した。抹茶と京都の和菓子を食べていただいたが、私が食べてないのを見て、ナムさんは「申し訳なくて死にそう」と韓国独特の言い回しで冗談も出てくるようになった。

 

打ち上げで(京都)

 

 「韓国併合100年市民ネットワーク」が中心に担った京都集会で、戸塚悦朗さんからは、真相調査法を民主党も野党時代に提出していて、菅さんも立法案の民主党としての承認に関わっていたのだから、立法を明確に求めるべき」との積極的な提案も出ました。
 最後に、京都で打ち上げを行った。姜宗豪さんは「全てのプライバシーを明らかにした」と語った。事務局の一人が「いつも元気な崔洛さんのつらいお話をはじめて聞き心が打たれた」と言うと、崔洛さんは「証言では絶対泣かないように努めたが、今涙が出てきた」と泣き出された。南英珠さんは「日本には悪い印象を持ってきたが、みな会う人はいい人ばかりだった」と感想を述べた。
 「この3日間、5回に及ぶ証言を話し、聞いた私たちの関係は、同志というだけでいいのでしょうか、許されるならば兄・姉と呼ばせていただき兄弟の契りを結びましょう」と呼びかけると3人は「弟たちだ」と言って、とても喜ばれていた。思うに、この「兄弟の契り」は、3日間のすべての政治的・運動的な成果を越える意味のあるものかもしれない。最後に日本にはじめてきた南英珠さんにずっと寄り添い、泣きながら心をこめた通訳をしていただいた李さんに心から感謝申し上げたい。
 「チグン、シジャギヤ!今からが始まりだ!」

(上田さんの文章は、日鉄ニュース用に書かれたものを編集しました)
 

東京「韓国人遺族との出会いから100年を考える証言集会」報告
(寄稿:青年・学生実行委員会<なあがら>加藤圭木さん)

 
 
   

 10月10日、私たち青年・学生実行委員会<なあがら>は、一橋大学において「韓国人遺族との出会いから100年を考える証言集会」を開催した。日本が引き起こした侵略戦争によって家族を奪われた韓国人遺族である南良江さん、金錦順さん、金蓉子さんのお三方をお招きし、証言していただいた。
 1946年生まれの金錦順さんは、父である金包徳さんの顔すら知らない。金錦順さんの父は、44年に強制徴用されたが、脱出し家に隠れて過ごした。しかし、45年に再び強制連行され、その後亡くなった。幼い頃、父がいないことでとても寂しい思いをし、毎日のように父を思慕した。しかし、父に関する資料はまったく確認できず、遺骨も返還されていない。そのため金錦順さんは1989年から父を探す活動を始めた。
 南良江さんの舅である金外準さんは、1943年にサハリンにある炭鉱に強制徴用された。その後、48〜49年までは書信で生死を確認できたが、朝鮮戦争が勃発してから連絡が途絶えた。1989年のサハリン同胞の故国訪問を通じて、90年、舅が1968年3月2日にサハリン現地で亡くなったという話を聞いた。遺骨もまだ返還されていない。夫の遺志を継ぎ、活動を続けている。
 金蓉子さんの父、金東根さんは1943年に結婚したが、婚姻申告を出す前に金蓉子さんが生まれた。その後、金蓉子さんの父はすぐに陸軍に徴用され、中国で戦死した。金蓉子さんは自分自身が結婚して娘を産んだ時に初めて戸籍を整理することになった。そのときに、本籍地の欄に夫の本籍地を記入したため、父の娘としての被害者認定を受けられなかった。戸籍のことも分からないまま生きてきたという事実と、その原因が日本によって父が犠牲になったことにあると考えれば考えるほど今も胸が痛む。
 参加者は40名であった。私たちは、証言集会に「韓国人遺族との出会いから100年を考える」というタイトルをつけたが、そのねらいは単に「貴重な話を聞けてよかった」という形で満足してこの会を終わらせてしまうのではなく、自らの問題として日本の植民地支配の問題を考え、三名のオモニと対話する場をつくることにあった。その目標がどこまで達成されたかはわからない。質疑応答や意見交換の時間においては、どのように発話すべきか戸惑いがみられつつも、多くの参加者が自分なりにこの問題をどのように受け止めたか、今後何をしていけるのかについて語っていたことは貴重な成果である。
 青年・学生実行委員会<なあがら>は、「韓国強制併合」100年にあたる2010年、植民地主義の克服を目指して結成された「青年・学生」を中心とした団体である。私たちは、2011年2月12日に東京大学駒場キャンパスにて「「過去事清算」の現状とわたしたちの課題―日本の朝鮮植民地支配はなにをもたらしたか―」というフォーラムを開催する予定である(http://naagara.web.fc2.com/>参照)。多くの方の参加を期待したい。
 

第10回納骨堂草刈りボランティアツアー報告(10.22〜25木村)

 
 
 
     

 春川にある強制連行被害者納骨堂の草刈りボランティアツアーは、今年第10回を迎えた。春川太平洋戦争遺族会李先生が前日到着した関西メンバーを新しくできたデパート等変わりつつある町の風景、昔からある市場、市内を流れる孔之川(コンジチョン)へと案内して下さった。米軍基地の跡地が町の一角に変わっていく姿があった。
 23日納骨堂に到着すると、堂の前はすでにきれいに清掃が済み私達は裏に回り、周辺の刈り残された草を取った。金景錫氏のお墓の周りは念入りに小さな草までみんなで取った。金景錫氏の墓前には、以前私達が贈ったギョンソク氏のにこやかな笑顔の写真パネルが飾ってあり、どこからか声をかけられるような気がした。日韓合同慰霊祭には、江原道、春川市からも参列、ソウルから李熙子さん、崔洛勳さんをはじめ推進協で顔なじみのアジュマ達が参加された。会場は用意された椅子だけで足りず立っている人もあり50名程の参列者で埋まった。いつものように、マスコミのフラッシュの中慰霊祭は進行。数えてみると、ギョンソク氏が亡くなられてもう5回目になる。その後の参加者の昼食会で隣の席の方に恐る恐る(返事が聞き取れるか心配)聞くと、朝鮮戦争の遺族の方々だった。解放後も苦しみが継続したことをここでも知らされた。
 昼食後春川の名所、清平寺(チョンピョンサ)に連れてもらった。春川は自然が美しく、丁度紅葉の季節。船で昭陽湖を渡り、30分程山道を歩いて着いたお寺からの眺めは、ほっと心が和んだ。この行程、洪さんの日本語教室のお仲間達が同行して下さった。そのお一人金教翼さんが、江原神宮跡へ連れて下さった。春川のシンボル的な山である鳳儀山の中腹にある世宗ホテルが江原神宮の跡地に建ったものだと。山を背景にして長い長い階段を上ったところで、町が一望できる一等地だった。階段を上って参拝を強要されたと聞いた。暗い中を探すと、解放後打ち壊された階段の石が苔むして転がっていた。「まだまだ連れて行ってあげたい所がある」と声をかけてもらった。
 納骨堂は春川市の墓地移転計画により今後どのような形になるか決まっていない。ボランティアツアーも今年が一区切りと思っていたが、来年が最後のツアーになるかもしれない。
 翌日鉄道で移動、ソウルでは、事務所でヒジャさん証言集会に来日されたチェナックンさんやナムヨンジュさん達が待っていて下さった。期待していた安重根記念館はオープン前で行けなかったが、ナムヨンジュさんにはまる二日間ノレバン(カラオケ)で歌い、チンチルバン(スーパー銭湯のような施設)で泊まり、市場にずっと付き添って下さり、離れることなく過ごした。空港行きのバス停では、私を固く抱きしめて「次はいつくるのか。」と涙まで流して別れを惜しんで下さった。ヨンジュさんが証言集会の最後に私達に「日本を恨んできた」と言われた言葉と共に、充分心に刻み今後の力としていきたい。
 

ノー!ハプサ訴訟口頭弁論報告(古川)

 ノー!ハプサ(合祀)訴訟の第17回口頭弁論が11月11日、東京地裁で行われました。傍聴希望者が席数に満たなかったので、関西からの便が少し遅れた私も無事傍聴できました。この日は、一日かけて証人尋問と原告本人尋問。原告側弁護士の尋問だけでなく、敵である被告(靖国神社・国)側弁護士からの尋問にも答えなければなりません。
 
いやらしい靖国側の質問に胸のすく答弁・朴漢龍さん

 

朴漢龍さん

 

 トップバッターは、韓国の民族問題研究所室長の朴漢龍(パク・ハニョン)さん。韓国近現代史が専攻で、大口弁護士からの質問に的確に返答する。「1875年江華島事件で死んだ日本兵を靖国に合祀しており、侵略の開始と同時に靖国との関連が始まっている。東学党の乱で数万人が殺され、併合前に5万5千人の義兵が虐殺された。侵略者が合祀されている所に一緒に合祀されるのは、死んだ者を二度殺すようなもの。1945年の解放時、韓国人はまず神社に火を着けた。神社を宗教施設ではなく、侵略施設と見ていた」ときっぱり。
 次に靖国側の岩淵、竹野下弁護士が、いやらしい質問を連発。386世代である朴漢龍さんが偏った運動家であるように印象付けする質問や、朴漢龍さんが中心になって編纂した「親日人名辞典」で訴訟になっていることから、了解なしの氏名掲載を韓国側もやっていることを印象付けようとした。しかし朴漢龍さんは、「386世代が目指したのは民族主義でなく民主主義」「親日人名辞典での裁判は全て勝訴した。掲載した人名は4489人だが提訴したのは5人だけ。しかもそのうちの一人は朴正煕大統領の息子。韓国では恥ずべき自国の歴史を反省する作業をやっている。一方日本はどうか?日本で戦争犯罪者辞典を作るとすればどういう人の名前を載せるのか」「遺族がこうして日本で裁判を起こさないといけないこと自体がもう一つの植民地主義だ」と、胸のすく答弁を行った。まさにアッパレだった。
 
靖国・国側のくだらない姿勢を粉砕

 続いて本人尋問に立ったのは、原告の高仁衡(コ・インヒョン)さん、朴壬善(パク・インソン)さん、そして李煕子(イ・ヒジャ)さんだ。
 靖国側は、韓国人がこだわる祭祀(チェサ)やクッができないことを単に「遺族のこだわり」と印象付けて、「宗教は人それぞれが信じる方法ですればよい」という中谷訴訟最高裁判決を強調しようとした。「正式でない祭祀ならできるのではないか」という質問に対し、高仁衡さんは、「電話一本よこさずに何とずうずうしい。祭祀は息子に任せるべきであって、なぜ日本がかまうのか」と一喝。「祭祀やクッの意味がわかっていない。無念の死の場合はクッを行って死者の無念を取り除かなければ祭祀ができない」(朴漢龍さん証言)という、韓国の習俗に日本国家が割り込んで不利益を生じさせている現実を浮き彫りにさせた。
 また、国の弁護士(検察官)が「GUNGUN裁判で靖国を被告にしていないのはなぜか。」と政教分離上の判断だった点をこちら側に言わせようとしたが、李煕子さんは、「遺族だけが原告ではない。生存者もいれば死亡の事実すらわかっていない人もいる。そんなこと聞きたければ弁護士に聞けばよい」と、靖国・国側の悪意に満ちた質問をサラリとかわしました。

高仁衡さん 朴壬善さん 李煕子さん

 ノーハプサ訴訟は、最終段階を迎えています。来年2月24日(木)に最終口頭弁論を終え、判決になります。韓国人の習俗性から靖国合祀が相容れない点を、裁判所に正しく判断させるために、全力を尽くしたいと思います。
 

 読書案内

 『生活の中の植民地主義』

 
   

                        水野直樹 編   人文書院 1500円+税


 本書は、日本の植民地支配を、創始改名(水野直樹氏)、身体規律( 鄭根埴氏)、神社参拝(駒込武氏)、日本語の常用(松田吉郎氏)という4つのテーマから考察。植民地主義を一つに規定するというよりは、生活の中の植民地主義が明らかに。 鄭根埴氏は、日本の植民地支配の特徴を、皇民化を目指し、創始改名、神社参拝、日本語の強要などの政策的強制だけでなく、規律・健康の強制が大きな意味を持ったと指摘。日本では、江戸時代以前、身体は修養、保全の対象だったが、明治以降、国家の管理対象となり、より良い身体と健康を訓練によって育成し、学校では体操や教練など身体能力育成と規律化を強めた。また、厚生省は体力検定(体力章)制度による健民運動を進めた。一人ひとりの身体は天皇国家のため。子供は軍事力、労働力、女性の身体は出生のためと国民生活は束縛されていく。こうした体制はナチスを範とし、朝鮮、台湾にも強要され、最終帰着点は44年の徴兵制となる。大戦終了後、日本では「消滅した体制」が、朝鮮では残ったという 鄭氏の指摘は、興味深い。韓国での徴兵制、教練 (1987年以降解体)、北朝鮮の軍事パレード、マスゲーム等にと。はたして日本では?(大釜)
 

GUNGUNインフォメーション

12月11日(土)10〜16時 日本弁護士連合会・大韓弁護士協会共同シンポジウム 
  「戦争と植民地支配下における被害者の救済に向けて」
  東京国際交流館「プラザ平成」3階国際交流会議場(新交通ゆりかもめ「船の科学館」東口徒歩約3分)
  第1部:基調報告(日本弁護士連合会・大韓弁護士協会)
  第2部:パネルディスカッション
    (日本軍「慰安婦」問題について、強制労働・強制連行問題について、その他の未解決な課題について)
12月12日(日)10〜17時 2010日本の過去清算を求める東京集会
  在日韓国YMCA(水道橋駅下車徒歩7分) 
  10:00〜 分科会 @強制連行・強制労働 A「慰安婦」・被爆者・サハリン・BC級など B遺骨・文化財返還の課題
  13:30〜 全体集会 @各国報告 A分科会報告 B全体討議 Cアピール採択 
12月13日(月)議員&市民フォーラム(議員会館、調整中)
12月21日(火)15時 靖国合祀イヤです訴訟判決 大阪地裁202号法廷 
  18時30分 判決報告集会 中之島公会堂地下大会議室 
12月23日(木祝)14〜17時 シンポジウム「日韓会談文書公開訴訟と運動から得たもの生まれたもの」
  東京しごとセンター5階セミナー室(JR飯田橋駅下車(東口)徒歩5分)
2月24日(木)13:30〜 ノー!ハプサ最終口頭弁論(結審予定)東京地裁103号法廷