在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.56 (2009.12.5発行)

韓国ソウルでの判決報告集会
(09年11月22日)

「逃げに逃げた」東京高裁判決
     逃げるのであれば、追うのみだ!


 10月29日、東京高裁でGUNGUN裁判控訴審判決がありました。判決内容は、高裁判決としては表面的な、お粗末な判決でした。とはいえ、靖国合祀問題については、「矛盾」の隠しようがありません。「事務量が膨大であることなどから、予算を取り要綱を定めて組織的に長期間にわたり行っていた」と認定しながら、国は情報を提供していただけで、「国と靖国神社が一体となって合祀を行ったと認めることはできない」としたり、「国の上記行為の宗教とのかかわり合いは、直接的ではある」と認定しながら、「協力をする行為が長期間にわたり組織的に行われたのは、対象者が約150万人もいて、事務量が膨大で過誤を生じやすく、・・・靖国神社に特別手厚く支援するものとまでは言い難い」と免罪。「社会通念にしたがって言えば、国の上記行為は、一般人に誤解を与えかねない行為として適切であったとはいえない」と違法性に触れながら、「特に手厚く靖国神社を支援したものとも断定し難い」「宗教的活動に当たるということはできない」と急転直下、結論まずありきの判断をしています。下線部を認定したのであれば、続く言葉は「違憲と判断した」しかありません。事の重大性から目を背けた「勇気のない判決」としか言いようがなりません。
 相手が逃げるのであれば、私たちは追うのみです。
上告審ではまさに「憲法判断」を問います。また国連人権委員会への提訴も含めて今後、国際問題として継続発展させていく決意です。みなさん!今後ともご支援をよろしくお願いします!
 

東京高裁の不当判決を糾弾する!
      高裁は韓国人「合祀」判断から逃げた!



 10月29日、東京高等裁判所は在韓軍人軍属裁判控訴審について「全てを棄却する」不当判決を下した。「裁判所は、憲法違反さえ断罪できないのか」、法廷には怒号が飛び交った。判決は、矛盾に満ちた不当極まりないものであり、これが高等裁判所での検討なのか疑わせるものであった。

シベリア抑留、BC級戦犯問題も冷戦下の請求権協定に固執

   
 
 

東京高裁前で

 判決は、日韓請求権協定の適用範囲について、悪しき一審判決に加え、日韓協定が言う「完全かつ最終的に解決された」の一言をもって「控訴人らの合祀関係の請求が日韓請求権協定等の対象外になるものではない」という考え方を示している。当然、BC級戦犯問題や戦後行われたシベリア抑留についても日韓請求権協定で解決済、「詐術、欺罔行為、圧力等」については証拠がないと決め付け失当とした。
 日韓請求権協定は、冷戦時代に韓国の独裁政権を支援するために締結されたものである。情勢は大きく変わっている。冷戦は崩壊し、日本では1994年「植民地支配と侵略を反省」した村山談話が出され、新たに発足した鳩山政権は、李明博韓国大統領との会談でこれを受け継ぎ、「正しく歴史を見つめる勇気がある」と強調した。にもかかわらず、判決は、いまだ冷戦構造のもとでの日韓請求権協定の解釈を金科玉条のようにふりかざし、なおかつ、さらに適用範囲を拡大さえしようとさえしているのである。

矛盾に満ちた判決、憲法からも韓国人合祀判断からも逃げた判決

   
 

高裁前でビラ配り

 

 靖国合祀問題については「ひどい」の一言につきる。韓国人原告らに対する深刻な人格権・人権侵害について一切検討せず、「その余の点について判断するまでもなく」と切り捨てたのである。その理由は、国・靖国神社一体の合祀ではなく、政教分離違反でもないから、というのである。本末転倒である。国が大規模に長期間関わることによって、また外国人の個人情報を勝手に通知したから起きた深刻な人権侵害があるからこそ、その救済が求められているのである。
 国・靖国神社一体となった合祀について、判決は「事務量が膨大であることなどから、予算を取り要綱を定めて組織的に長期間にわたり行っていた」と認定しながらも、都合のいい事実のみをとりあげ、国は情報を提供していただけで「国と靖国神社が一体となって合祀を行ったと認めることはできない」とした。『祭神』は靖国神社の要である。その決定への協力が宗教行為への協力でなく何が協力となるのであろうか。
 政教分離規定違反については、「国の上記行為の宗教との係わり合いは、直接的ではある」と認定しながらも、「事務量が膨大」であるので、「宗教との直接的な係わり合い」もやむをえないというのである。こんな暴論が通用するのであろうか。また、裁判所は、原告等が韓国人であること、合祀されているのが韓国人の父らであること、合祀されたのが1959年であることを都合よく忘れている。通知された情報は外国人に関する情報であり、韓国人遺族に死亡通知さえせず、1952年援護法では国籍条項により旧植民地出身者を排除した厚生省が、靖国神社には韓国人含めいとも簡単に通知したのである。真摯に問題に向かい合うならば、このような判決はできるはずがない。

真実はまげられない。勝利するまで闘う!

 11月22日にソウル、23日に春川で原告集会を開催した。原告集会では、弁護団、支援する会の報告を踏まえ、「判決は期待はずれの不当なもの。しかし、上告し最後まで闘う」との決意表明がなされた。支援する会は、不当判決をはねかえし、原告の要求を実現するために、原告、太平洋戦争被害者補償推進協議会、太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会、韓国シベリア朔風会、弁護団とともに、最高裁で徹底的に闘う(11月10日上告)と共に、司法の場のみならず、立法化、国際機関への提訴等を含めあらゆる手段を駆使して闘うことを原告集会で報告、確認してきた。
 来年の韓国強制「併合」100年であり、政権交代を十分に生かし、全ての分野で最後まで闘う決意です。皆様には、これまで以上のご支援をお願いします。
 

GUNGUN裁判控訴審判決行動記(古川)

10月29日
 2009年10月29日、東京高裁でグングン裁判控訴審の判決があった。来日した原告たちとは東京で、李熙子(イ・ヒジャ)さんとは大阪まで行動をともにした。
 この日、法廷は大勢の傍聴者でほぼ満席になった。開廷後裁判所は、「マスコミのための撮影」時間として恩着せがましく2分間を確保後、いよいよ判決の読み上げ。大橋寛明裁判長らは、「主文、原告の訴えはいずれも棄却する。控訴費用は原告負担とする。」と言うなり回れ右して足早に退廷していった。その時間、わずか15秒だった。「理由を言え」「判決要旨も読み上げろ」「御用裁判」という怒号が法廷を包んだ。
 判決内容は、高裁判決としてはあまりにもひどい、お粗末としか言いようのない不当判決だった。私も落胆したが、原告たちの表情は本当に悲痛だった。直後の記者会見で原告たちは一様に、政権交代後出される判決への期待感が高かっただけに大きく失望したことを語った。

「失望が大きい」と国会議員会館で記者会見

 
 

李熙子さん(右)

洪英淑さん(右)

 李熙子さんは絶句して言葉がしばらく出てこなかったが、「97年に合祀を知ってから、どうやって責任を問えばよいのかを考え続けていた。死亡の事実も知らせずに、遺族に無断で合祀した。2006年の一審判決に比べ、今回の判決ほど失望したことはなかった。表現できないほど失望が大きい」と語った。また他の来日者も「今回、鳩山政権になり期待していたが、判決を見て胸が痛む。どこに希望があるのだろうか」(洪英淑さん)「日本の司法が多くの証拠に目を背けてしまった。残念だ。一審の内容から何ら変わっていないことに失望している。」(金敏浮ウん)と、政権交代後出される判決への期待感が高かっただけに大きく失望したことを語った。

靖国合祀問題で矛盾一杯の判決内容

 判決内容は、前述のとおりであるが、特に靖国合祀問題では、判決のいたるところに「矛盾」が噴き出している。(全文判決要旨
 「もっとも、上記行為をするに、国と靖国神社との打ち合わせが靖国神社において繰り返し開催されたことや、国の側から合祀の対象者について提案したとみられる行為が一部にあったこと、『なし得る限り好意的な配慮をもって』などという靖国神社合祀事務協力要綱の表現等に照らすと、国の側に一般の国民に対する協力よりも手厚く靖国神社の合祀支援をする意図が全くなかったとは言い切れず、その行為の規模の大きさや期間の長さに照らし、一般人がこれを靖国神社を特別に優遇するものではないかと感ずる可能性も否定できない」「社会通念にしたがって言えば、国の上記行為は、一般人に誤解を与えかねない行為として適切であったとはいえない」と違法性に触れながら、「特に手厚く靖国神社を支援したものとも断定し難い」「宗教的活動に当たるということはできない」と急転直下の判断をしている。「勇気のない」判決としか言いようがない。
 

「逃げに逃げた判決だ」
    夜の報告集会で高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)

 
   

 これが高等裁判所の判決であると思うと情けない。逃げに逃げている。今回も「行政サービス論」を追認しているだけ。「戦後膨大な人数を合祀する必要があったから」と厚生省を容認した。これが問題なければ、これからもできるということになる。2003年イラク戦争の際に、非戦闘地域だからと自衛隊が派遣されたが、死者が出たときのために靖国合祀を検討している。しかし自衛隊は、現憲法下で組織的に靖国に合祀することは困難だと判断した。自衛隊のほうが今回の判決よりマシということになる。それがなければ成り立たない不可欠条件であるにも関わらず、『名簿提供と合祀は別だ』というのは、詭弁だ。
 

10月30日

シベリア抑留と靖国神社に分かれて行動

 落胆の重い空気が支配した判決日だったが、翌日の行動から原告は明るさと新たな闘いへの希望を取り戻していった。

 

全抑協の会員たちと

 

 シベリア抑留生存者の李炳柱さんと李在燮さんは、全抑協(全国抑留者補償協議会)拡大全国理事会・立法推進会議拡大世話人会に参加。全抑協では現在、「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」の立法化を目指して活動中だ。前日の判決報告集会の場で「日本人以外にも道を開く法案として準備中」と聞いた二人にとって、立法化の動きの情報は何にも替えがたい展望である。会議では高齢を押して全国からかけつけた抑留被害者から「日本人以上に韓国の被害者は苦労しているので何とかしたい」と激励を受けた。
 午後参議院会館内で行なわれた「日韓合同決起集会」では、共産党吉井議員が「南方での戦後労働には帰国後賃金が支払われたのにシベリアだけ未解決。時間との闘いだ」と発言。民主党円議員は「自民・公明を説得できれば通る。必死にがんばりましょう」とエールを送った。
 夕方には韓国からの二人を含めた代表団が首相官邸に入り、小川総理補佐官に要請書を手渡した。
この日の行動を終えた夜遅く、李在燮さんは「植民地支配下での私の日本人観は決していいものではなかった。差別や蔑視を受け、敵愾心で一杯だった。しかし皆さんと出会うことで、そういった気持ちは解けていった。お互いに尊敬しあう人達なんだと思うようになった。本当に感謝している。今日、総理官邸に入ることができたのも皆さんの支えがあったから。今まで苦しい中でも運動を続けてきてよかった」と一日を振り返っていた。

靖国神社・厚労省へ要請行動

 
 

靖国神社に要請行動

 一方この日、他の原告たちは靖国神社に赴いた。事前に大口昭彦弁護士から靖国神社側に、「たしかに貴神社とは既に裁判関係になってはおりますが、ことは故人となった父祖の慰霊・追慕という極めて厳粛な、人道的・宗教的な問題に関連しているのでありまして、法律が軸となる裁判というものが解決の手段として果たして最適かどうかは大いに疑問もあるところであります。」と、静かな雰囲気の中での意見交換を申し入れていた。そして代表5人が神社社務所の応接室で権宮司と会談した。
 神社側は、「以前に台湾の遺族がその民族的なやり方で霊を祖国に帰す儀式を行なったが、靖国神社はそれを妨げなかった」と言い、あなた方は韓国式のやり方で霊を持ち帰ればよい、私たちは私たちのやり方で慰霊する、という従来の姿勢で、双方の意見は平行線だった。しかし、靖国神社とその後行なわれた厚生労働省とのやりとりの中で、李熙子さんは次なるステージへの闘志を芽生えさせていた。

10月31日

「アジュマパワーを見せつけたい」 大阪報告集会で李熙子さん

 

イ・ヒジャさんからのプレゼント

 

 31日、大阪に移動して臨んだ判決報告集会で李熙子さんはこう発言した。
 「皆さんと会えてよかった。たくさんの友達ができたことが財産だ。この活動を通して人間関係が広がって、多くを学んできたことが、心の中で大きな財産になっている。しかしまだ終わっていないし、これからやらなければならないことがある。韓国で運動を広げようと思う。靖国神社と厚生労働省で対話したが、宗教法人化する前は日本政府の責任、後は靖国の責任という。厚生労働省は靖国に責任を転嫁している。国会議員と交流して決意が固まった。これからは、日本の国会議員の人たちと協力して進んで行かなければいけないと思っている。裁判を続けてきたことで傍聴者がどんどん増えていって、自分も高まってきたことが大きい。裁判していなかったら何も残らなかった。棄却は本当にがっかりしたが、このまま挫折するわけにはいかず、靖国とこれからも闘っていく。韓国アジュマ(おばさん)パワーを見せつけたい」と。

古川佳子さんからプレゼント

 
 

古川佳子さんとヒジャさん

 箕面から参加した「靖国合祀イヤです訴訟」原告の古川佳子さんは、映画「あんにょん・サヨナラ」に出てくる2005年、靖国神社への申し入れの時のことを「靖国に行ったときに韓国人にとっては未だに植民地支配を受けていることなんだということを感じた」と振り返り、「ヒジャさんと私が同じ土俵で闘うことを考えると身がすくむくらいの思いだった。韓国人は終戦後は外国人だと切り捨てられているのに靖国神社には合祀されている。日本人は侵略戦争に加担したわけで、ヒジャさんと同じところで闘うなんて恥ずかしくてできないと思っていた」と、日本人遺族として靖国に合祀取り消しを求めて闘うことの重要性と意義を語った。発言後、古川さんからヒジャさんにプレゼントが渡された。反戦歌人の深山(みやま)あきさんの歌集の韓国語訳本 『平和のための祈り』である。深山さんは、「心裂き 身を裂きたりな傲然と 性辱めは天皇の軍隊」「天皇の 命に送られ果てたりき 髑髏の兵の慟哭を聴け」など、朝鮮人戦争被害者や従軍慰安婦への思いと、痛烈な天皇批判を多くの歌にしている。手渡す際、古川さん、ヒジャさんはがっちり握手をした。未来に向けた日韓遺族の今後の靖国への闘いを象徴するようなシーンだった。

 2006年の一審判決で棄却された時は、次の目標である靖国神社相手の訴訟(後のノー!ハプサ訴訟)への決意を語っていた李熙子さん。そして今回も一時は落胆したが、翌日には新たな闘いへと踏み出す決意をしている。原告に闘う意志がある限り、この闘いは続く。長引いて困るのは国と靖国神社の側である。金景錫さん(2006年一審判決の翌日に亡くなった)が提訴の際に言った言葉が思い出される。「戦後補償の闘いは100年闘争になるかも知れない。しかし必ず勝利する。」
 

ノー!ハプサ第12回口頭弁論報告(山本)

 10月15日、ノー!ハプサ訴訟の第12回口頭弁論が東京地裁103号法廷で行われ、韓国からは原告の朴壬善(パク・イムソン)さんが参加しました。靖国神社は前々回の裁判で準備書面6において、「日本国憲法第20条が保障する信教の自由の権利に基づき、神社自身の独自な教義によって」「日本人として日本のために戦って亡くなられた人々を祀っている」のであり、「そのことによって、原告らが各々の仕方で父上を追悼することを妨げてはいない」また、「原告らに國神社参拝を強制していない」と主張していました。

欺瞞的な「英霊」合祀の実態

 これに対し、今回、原告側は準備書面20において、祭神名票、祭神簿、さらには霊璽簿もそれ自体は合祀手続き時の事務的な名簿に過ぎず宗教行為性はなく、それを根拠に訂正を拒否する理由はないことを主張しました。その上で、「被告國神社が原告らの父を勝手に合祀しておきながら、遺族の切実な要求にもかかわらず、その取下げを頑なに拒むのか。・・・原告らの要求に応じ合祀を取下げをすることによって、『アジア解放の戦い』であったという被告國神社の抱く「神話」が音を立てて崩れてしまうからである」ことを、遊就館の展示内容から具体的に明らかにしました。
 朴壬善さんは意見陳述の中で、「靖国神社に合祀されることが光栄なことなら、なぜ家族に一言も連絡せずに盗人のようにこっそりと合祀したのか問いたいです。私の父の名前を靖国神社で勝手に使うことは、私は許せません。」と訴えました。
 次回は12月24日(木)午前11時から東京地裁103号法廷で行われ、グングン裁判判決を踏まえて双方が主張を行う予定です。
 

11月21日〜24日 ボランティアツアー報告(木村)

 
 
 
 
 
 
 
   

 今年で第9回となるボランティアツアー。毎年秋に春川にある納骨堂で、草刈り清掃をし、日韓合同慰霊祭を行ってきた。今回のツアーは、春川に入る前にソウルでグングン裁判控訴審判決の報告集会から始まった。日本からの参加者は、大口昭彦、殷勇基両弁護士と支援する会の関東、関西から計11人。
 22日、ソウルで原告集会の開かれた東北アジア歴史財団の会議室は、会場一杯に原告の方が。その中には、これまでの訪韓やヤスクニキャンドル行動の時に出会った懐かしい顔も。まず大口弁護士が裁判判決を報告。「腰の引けた臆病な裁判官により、日韓請求権協定の判断からも、韓国人の靖国合祀判断からも「逃げた」判決だ。これほどの不正義がどうして日本の裁判で通るのか。しかし、判決文には、本質から逃げ切ることのできない記述があり注目している。11月10日に最高裁に上告した。靖国、未払い金、遺骨返還、戦死公報の全て日韓条約で解決済みという乱暴な判決を覆すべく、裁判を進めていきたい。日本の政権交代によりアジア外交重視の動きが始まっており、原爆被爆者への救済を韓国人も対象に見直すと正式公表され、シベリア抑留、BC級戦犯の立法化の可能性が高まっている。今こそ解決できる時だ。裁判だけが唯一の手段ではなく、日本政府に責任追及の声を上げ続けることの意義は大きい」と発言。殷弁護士からは、日韓条約について、「日本政府はかつて、韓国政府が外交保護権を捨てただけで、韓国人個人に権利は残っているとしていたが、途中から説明が変わり、韓国政府が韓国人個人の権利を捨てたとした。黒いカラスも白と言えば白になってしまう現状だ。壁は厚いが今後も全力を尽くしたい」と決意が語られた。支援する会からは、裁判後の靖国神社と厚労省への要請行動、シベリア関係の行動が報告され、上告審で闘うと共に立法化を勝ち取ること、国際人権規約違反として国連への提訴を検討する等の行動提起がなされた。
 
春川で納骨堂の清掃と合同慰霊祭

 ソウル原告集会の後、私たちは春川へ移動。一年ぶりに訪ねた納骨堂では、お天気にも恵まれ、気温も上がり、早速草刈り清掃。金景錫さんのお墓をポンポンとたたいて「来ましたよ」と呼び掛けた。2005年に金景錫さんと共に石を運び積み上げて建てた石塔の上3分の1が崩れていた。来年は市の計画で、納骨堂が車で20分の場所に移転するとのこと。この地で最後の慰霊祭となる。金景錫さんの後を継ぎ活動を継続されているホン・ヨンスクさんが指揮をとって準備。祭壇には、供物が並べられ、江原道知事、春川市長からの献花が並ぶ。ソウルからは、イ・ヒジャさんが10数人の原告と共に参加。納骨堂の前に並べられた椅子はたちまち満席。韓国メディアが取り囲む中慰霊祭が行われた。来賓挨拶に続き、支援する会からは、金景錫さんの「軍人軍属裁判は100年闘争だ」の意志を引き継いで今後も闘うことを表明。韓国「併合」100年の来年は、ボランティアツアーも10周年となるので、若い世代と共にサッカーやキムチ作りで市民交流を盛大に企画したいと挨拶。最後は、韓国、日本の方法でチェサ(祭祀)を行なった。昼食後、遺族会事務所で春川の原告の方々に裁判報告。原告のイ・ナクチンさんは、紙に韓日条約と書き指差しながら、「これが問題だ」と。本当に道理を超える条約なんてあって良いはずはない。ソウルへ向かう電車の時間が迫り、春川を後にした。ソウルでは、ヒジャさんの息子さんのピザ店で再び原告の方々と交流。ここでは、アジュマ(原告の女性)が勢ぞろい。
 
 次の朝、ヒジャさんと今後について意見交流を行った。裁判は棄却となったが、新しい挑戦の第一歩である。国際人権規約第一選択議定書を批准させ、訴えていくこと。立法化では、謝罪が不可欠であること。遺骨調査を真剣にさせること等、具体的な課題が確認された。いくら環境が厳しくとも、やらなければならないし、原告たちと一緒に闘いたい。今後も大きな闘いに共に参加できることに感謝したツアーでした。
 

 読書案内

 『シベリア抑留−未完の悲劇』

 
   

          栗原俊雄 著
                       岩波新書 700円+税

 本書でも触れられているが、2003年6月シベリア朔風会会長の李柄柱さんをはじめ韓国人元シベリア抑留者が原告となってグングン裁判追加提訴を行った。司法の壁は厚い。しかし今、国会でのシベリア抑留補償立法の展望が切り開かれつつある。敗戦直後、旧満州の日本軍兵士ら約60万人がソ連に連れ去られ、極寒、飢餓、重労働の三重苦のもとに約6万人が命を失った。ソ連は労働力不足を補うための抑留計画を立て、日本は「国体護持」を優先させ労務の提供を容認した。238万人がソ連に抑留されたドイツの場合、旧西ドイツでは1954年に補償法を制定し、約80万円を上限にした補償金を支払っている。日本政府は2003年以降、国債10万円、旅行券、銀杯の「慰労品」で幕引きを図ろうとした。しかし韓国人元抑留者たちは「慰労」の対象にすらならなかった。本書は、韓国人についての掘り下げは弱いが、シベリア抑留問題を考える上で参考になる。(塚本) 
 

GUNGUNとノー!ハプサに寄付をいただきました

 神戸の女性から「韓国人靖国合祀取り消し訴訟に」と多額の寄付をいただきました。会として今後、裁判の報告記録集の発行など有効に活用させていただきます。この場を借りて厚くお礼申し上げます。また判決行動原告招請にカンパをお寄せいただいた皆様、本当にありがとうございました。
 

GUNGUNインフォメーション

12月 7日(月) 強制連行企業責任全国ネット全国集会 13時半 東京、岐部ホール
12月 8日(火) 日韓会談文書公開3次訴訟 10時半 東京地裁522号法廷
12月16日(水) 日韓会談文書公開2次訴訟判決 13時25分 東京地裁522号法廷
12月23日(休) 日韓会談文書全面公開を求める会総会 14時 東京しごとセンター
12月24日(木) ノー!ハプサ訴訟第13回口頭弁論 11時 東京地裁103号法廷
 1月19日(火) 沖縄合祀ガッティンナラン訴訟 13時10分 那覇地裁
 2月 2日(火) 大阪合祀イヤです訴訟控訴審 15時 大阪高裁202号法廷
 3月18日(月) ノー!ハプサ訴訟第14回口頭弁論 11時 東京地裁103号法廷