控訴審 第1回口頭弁論報告 2007年9月25日 東京高裁


証人尋問にむけて「検討」を表明

   
 
 

大口弁護士

 9月25日、GUNGUN裁判控訴審の第1回口頭弁論が東京高裁101号法廷で開かれました。当日2時間前になって法廷が大法廷に変更になったことが知らされ、「もしや靖国応援団が動員?」と思いましたが、単なる変更だったようです。しかし大法廷にどれくらい人が集まるか不安だったところ、40人くらいの傍聴者があり、何とか緊張感のある空間は作れました。傍聴には同進会会長の李鶴来(イ・ハンネ)さんの顔も。
 口頭弁論では、裁判所から、「靖国合祀の国・靖国の一体性」、「日韓請求権協定」が主要な論点であることの確認がなされました。被告・国も靖国合祀についての答弁を検討することになり、原告はその答弁次第で準備書面を提出する旨を主張しました。
 原告側での証人尋問の申請(人証申立)については、今後の論点の進み具合を見ながら検討することになりました。一方的な審理打ち切りを心配していただけにひとまずは安心しました。ちなみに原告側での人証申立は、以下の8名です。高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)、キム・スンテさん(韓国基督教歴史研究所室長)、周剛玄さん(韓国民俗問題研究所所長・文学博士)、李弼泳さん(韓国シャーマニズム協会会長・文学博士)、菱木政晴さん(同朋大学大学院特任教授)、岩淵宣輝さん(太平洋戦史館館長)、李美代子さん(原告・クリスチャン)、高仁衡さん(原告)

高仁衡(コ・インヒョン)さんが意見陳述

   
 

コ・インヒョンさん

 
 

報告集会

 
 

吉沢文寿さん

 

 続いて高仁衡さんが意見陳述を行いました。陳述では、「1948年に済州島で起こった4・3事件後、母と2人の兄を亡くし、1人残された私は孤児のように育ちました。生きていくため手当たり次第にどんな仕事でもするしかありませんでした。そのため学校もろくに通うことができませんでした」と戦争によって切り裂かれた家族の絆を語り、「子として、生きている間に父の死について真相を明らかにするための活動を始めました。父が歩兵78連隊に勤務して1944年9月3日に東部ニューギニアで戦病死したこと」「中でも目を疑ったことは父が靖国神社に合祀されているという事実です」と靖国合祀の文字を見た瞬間の衝撃を語りました。そして「私の父の体は今も東部ニューギニアのどこかに捨てられたまま腐り果てて長い歳月のうちに散らばってしまっています。こうして強制的に引っ張られた人を長い間放ったまま何の対策も立てず、関心も傾けないでいる日本政府と靖国神社の悪行を許すことができない」と遺骨調査と靖国合祀絶止への思いを訴えました。

 弁論後の報告集会は、約30名が参加し弁護士会館で行われました。大口弁護士からの報告、高仁衡さんからの訴え、大阪での取り組みと遺骨(遺体)調査への決意(古川)の後、午前中に東京地裁で開かれていた「日韓会談文書全面公開請求訴訟」の報告を吉沢文寿さんが行いました。

グングン裁判第2回口頭弁論 原告も来日、意見陳述予定!
12月18日(火)14時 101号大法廷


 次回第2回口頭弁論では、国立国会図書館編「新編靖国神社問題資料集」に関する準備書面、被侵害利益についての準備書面を提出予定ですが、国が靖国問題で反論してくるかどうか注目されます。大法廷一杯の傍聴をお願いします。

厚生労働省への要請行動報告

 対応したのは、厚生労働省社会援護局 業務課援護情報管理室の遠藤課長補佐。今回の最大のテーマは、遺族が最も求めている戦死者の記録。高仁衡さんの場合、韓国の国家記録院に保存されている「陸軍留守名簿」には父の死亡場所は記載されていません。にも関わらず、靖国神社からの合祀確認通知文書には、ニューギニアの「ボイキン」という地名が記されています。要するに「祭神名票」として靖国に情報提供した当時の厚生省に何らかの記録があるはずだということです。上記の要望とともに、「韓国政府に手渡っている資料と、手渡っていない資料の種類を教えて欲しい」との要請に、「後日、調査してお送りする」との回答でした。
 その後2週間後に資料の送付があり、死因はマラリアらしいこと、韓国政府に手渡っていない資料に、部隊の戦闘状況を聞き取った資料があることが明らかにされました。この資料を基に戦死場所や死亡原因を推定して「死亡者連名簿」などが書かれたらしいとのことでした。

岩淵宣輝さんと交流 「日韓・和解の旅」が提案される

   
 
 

岩淵宣輝さん

 
 

放置された遺骨

 第1回口頭弁論の翌日、ニューギニアから帰国した岩淵宣輝さんに関空から羽田まで飛んでいただき、高仁衡さんを交えて交流しました。
 岩手県にある太平洋戦史館館長の岩淵さん。お父さんをニューギニアで亡くして以降、父の遺骨を調査して200回以上もニューギニアを訪れています。その模様は、今年8月15日の「ニュース23」でも特集されました。
 岩淵さんと高仁衡さんは同じ年齢で、同じ苦労(父を亡くし母から離れ孤児同然)をされました。岩淵さんは、高仁衡さんの父、高夢賛さんが亡くなったとされるボイキンには何度も行ったことがあり、地元の方とも顔なじみだそうです。高夢賛さんが属していた歩兵78連隊は、久留米出身者が主体で生存者がいるかも知れないとのこと。岩淵さんは語ります。「昭和21年1月に天皇は「人間宣言」をして「現人神」でなくなった。その神が祀って完成する「靖国の神」も神でなくなったということ。靖国の仕組みそのものが、その時点で崩壊している。魂だけが靖国に行くわけがない。兵士は現に「帰るのだったら、かかぁの所」と言っていた。死んだ後も上官にこき使われることを望むわけがない。なぜこれほどの遺骨が放置されたか?それは靖国があったから。毎年8・15に武道館で戦没者追悼行事が行われるが、日本人の中にその時だけいいことをしたような錯覚がある。しかし放置されている兵士は喜ばないはず。靖国は「欺瞞」だ」と。また「遺骨(白骨遺体)の調査と戦地巡礼は、日韓遺族共同の取り組みにするべき。今年は、ハーグ密使事件から100年になるので、その記念事業として、例えば「日韓・和解の旅」と銘打って、大きな事業として両国政府やマスコミを動かしてはどうか」といった、具体的な提案もしていただきました。そして裁判での原告側証人になっていただくこともご快諾いただきました。今後、「日韓・和解の旅」の実現に向けて具体化していきたいと思います。(古川)